信継は無言で槍を放り捨てた

「…」

 

信継は無言で槍を放り捨てた。

 

「若!?」

「何を…!!」

「信継様!!」

「兄上…」

「なりません!!!」

 

詩のことを知らない者はざわめく。

ざわめきの中、牙蔵はそっとその場を離れた。

 

風はますます吹き荒れ、信継のまっすぐな長い髪が舞い上がる。

 

粉雪は四方八方に風に流され、視界が悪くなっていく。

 

「よーし!馬を捨ててこちらに歩いてこい!!」

 

龍虎は笑みを浮かべて腕を伸ばし、信継を招く。

 

信継は真白からひらりと降りると、ポンポンと真白の首を叩いた。

 

真白はブルル…と鼻を鳴らし、信継を止めようとでもいうような仕草をする。

 

信継はフッと笑った。

 

「皆、この場を動くな。

 

この命、いつでも天に返す覚悟は出来ている」

 

「兄上っ!!」

 

駆けてきた仁丸に、信継は真白の手綱を渡した。

 

「仁丸、真白を頼む」

 

「兄上…っ」

 

仁丸は首を振った。

 

「仁丸、しっかりしろ。

 

皆も、いいか。

 

俺は桜を奪還する」

 

仁丸は驚いて信継を見上げた。

 

その目には全く悲壮感はない。

 

命を捨てに行く男の目ではなかった。

 

「お前たちはここを動くな」

 

そう言い置くと、信継は龍虎と詩のいる方へ歩き出す。

 

自然と皆が避け、道が出来る。

 

微笑みさえ浮かべて、詩だけをまっすぐに見て、詩の方へゆっくり堂々と歩いてくる信継。

 

詩はその光景に震えた。

 

「…っ」

 

信継様…ぶっきらぼうなところもあるけれど、お優しい方…

こんな時にも。

命を懸けてこんな私を助けようとなさる。

 

ーーいけない…

私のせいで…

 

もうこれ以上、誰一人傷ついてほしくないーー

 

詩の目には自然と涙が浮かび、ツウっとこぼれた。

 

「フ…そのまま進め。

 

刀を捨てよ」

 

信継は2本の刀を鞘ごと抜くと、丁寧にしゃがんで、地面に置いた。

 

「フフフ…」

 

龍虎はその光景を楽しそうに見ている。

 

ーーこんなこと…ダメ。

イヤだ…

 

詩はもう涙がポロポロ出て止まらなくなった。

 

ビュオオオオー

 

折しも強くなってきた風がカラダを叩くように吹きすさぶ。

暴れる風に、息が出来ないほどーー

 

舞い散る白い雪が、視界を奪う。

 

驚いた馬が、前足を上げ、龍虎の重心がブレるーー

 

いまだ…!

 

詩は一瞬緩んだ龍虎の腕の中から、身をよじって逃れ、飛び降りる。

 

「あっ…おい!!!」

 

詩の動きに気づいた龍虎が屈んで手を伸ばし、またつかまりそうになる。

 

「…!」

 

詩は思い切り龍虎の顔におでこで頭突きした。

 

「うぐっ…!」

 

龍虎が呻いた。

おでこがものすごく痛い。でも、そのおかげで腕からは逃れられた。

 

詩はぐるぐる巻かれた自由にならないカラダのまま、馬の背から地面に落ちて行く。

 

「…っ」

 

「桜ッ!!」

 

雪の中、スッと姿を現した信継が駆け寄る。

 

ーー信継様…!

 

詩がぎゅっと目をつぶった、その時ーー

 

「…お転婆娘」

 

詩は逞しい腕に抱き留められていた。「…牙蔵さん…!」

 

「ん」

 

咄嗟に詩を抱きとめたのは牙蔵だった。

 

詩にだけわかるように、かすかに小さく微笑んだ牙蔵が、詩の縄を手早く切る。

 

じんと痺れていた腕が自由になった。

 

「お前は何で攫われてるの」

 

こんな時なのに、困ったようにくすっと笑う牙蔵。

 

「…すみません」

 

牙蔵はまとっていたを脱ぎ、詩をぐるりと巻く。

吹雪の中、詩はぬくもりに包まれる。

 

「あーっ…!!ずるいっ…牙蔵!!」

 

乗り遅れた信継が牙蔵を睨む。

それからホッとした顔で詩を見つめた。

 

「よかった。無事か」

 

「…っ」

 

何か言おうと思うのに、詩は、胸が詰まって言葉が出なかった。

詩は目を潤ませて信継に小さく頭を下げる。

 

その時、頭上のうめき声がやみ、驚いた声がした。

 

「なっ…お前は…叉羽!?

 

そうか、お前…高島の…!!」

 

怒りに激高した龍虎が、刀をスラリと抜く。

 

「おっと」

 

牙蔵は詩を抱いたまま横へ跳ねた。

 

「後は信継に任せる」

 

「…っ…」

 

軽く言う牙蔵に、詩は言葉もない。

 

 

「牙蔵…お前覚えておけよ!!」

 

信継の声は、こんな時なのにどこか楽しげだ。

 

「ええい、逃がすか!!育次、あの娘を捕」

 

詩と牙蔵を睨む龍虎に、信継が持っていた石を当てる。

 

「うわ…っ!!」

 

「沖田龍虎!お前の相手はこっちだ!!」

 

睨みあう馬上の龍虎と、脇差しを手に持った信継が、牙蔵の肩越しに見えた。

 

「…っ…」

 

詩は目を逸らせず、涙を浮かべて信継を見つめる。

 

「お前はこっち。

 

安全な場所にーー

 

といっても殿には会わせられないか」

 

牙蔵が小さく息を吐く。

詩を見つめると、詩は信継から目を離さず見つめていた。

 

「…」

 

牙蔵は詩の顔をじっと見つめる。

 

傍らに、気配があった。

 

「…」

 

沖田の城で見た忍ーー。

 

「…」

 

育次は牙蔵と距離を置いたまま、じっと見つめる。

牙蔵が腕の中にしっかりと大事そうに抱いている詩。

 

「…捕まえないの?」

 

手練れの空気はあるのに、殺気も何もない育次に、牙蔵はフッと笑った。

育次は静かに頭を下げた。それからどこかへと消えた。

 

「…」